展示構成と主な展示作品
展示構成は以下のように展示室ごとのテーマで展示いたします。
- 展示室1:重要文化財と当館を代表する名碗
- 展示室2:国宝 志野茶碗 銘卯花墻
- 展示室3:如庵 茶道具取り合わせ
- 展示室4:唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗
- 展示室5:樂の茶碗・永樂の茶碗(保全)
- 展示室6:永樂の祥瑞写(保全)
- 展示室7:永樂の茶碗(保全・和全)・手造茶碗
展示室1重要文化財と当館を代表する名碗
当館には重要文化財に指定された名碗が5点あります。玳皮盞(鸞天目)、粉引茶碗(三好粉引)、黒樂茶碗(銘俊寛)、赤樂茶碗(銘鵺)、黒樂茶碗(銘雨雲)の5点です。ここではこれらを唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗の順に、古三島茶碗(二徳三島
)などの名物とされる名碗を交えて展示いたします。
(図1)玳皮盞(鸞天目)は、中国江西省の
吉州窯で南宋時代に焼かれた天目で、玳瑁の甲羅すなわち鼈甲のような釉景色からの名称です。見込の尾の長い鳥を瑞鳥の鸞に見立てて鸞天目とも呼んでいます。小堀遠州(1579〜1647)由来の中興名物です。
(図2)粉引茶碗(三好粉引)は、朝鮮半島で16世紀に焼かれた粉青沙器の一種で、戦国武将の三好長慶(1522〜1564)が所持したところから三好粉引と呼ばれています。その後豊臣秀吉(1537〜1598)が所持し、江戸時代に金森家から三井家に伝わった名碗です。
(図3)黒樂茶碗(銘俊寛)は、千利休(1522〜1591)の美意識と創意により長次郎が焼いた樂茶碗のなかでも作意が強く、腰の張った半筒茶碗の代表作です。
(図4)赤樂茶碗(銘鵺)は、樂家の三代道入(1599〜1656)の赤樂茶碗で、胴の黒い景色から『平家物語』の「鵺退治」に因んで「鵺」の銘が付けられています。
(図5)黒樂茶碗(銘雨雲)は、その道入の協力を得て本阿弥光悦(1558〜1637)が造った樂茶碗です。専門の陶工ではない光悦が、自らの興味で手造りした茶碗ですが、その茶碗が今日重要文化財に指定されているところは、まさに「国宝も手のひらから」のキャッチコピーを体現しています。

重要文化財 中興名物 玳皮盞(鸞天目)
南宋時代・12〜13世紀 室町三井家旧蔵図1

重要文化財 粉引茶碗(三好粉引)
朝鮮時代・16世紀 北三井家旧蔵図2

重要文化財 黒樂茶碗 銘俊寛
樂長次郎作
桃山時代・16世紀 室町三井家旧蔵図3
(図6)珠光青磁茶碗(銘波瀾)は、中国福建省や浙江省で南宋時代に大量に焼かれ、日本の遺跡からも出土していますが、唐物の名物に対し、わび茶に相応しいものとして村田珠光が取り上げたとされるところから、この手の茶碗を珠光茶碗・珠光青磁などと呼んでいます。
(図7)古三島茶碗(二徳三島)は、重要文化財に指定されてはいませんが、豊臣秀吉の茶頭とも袋師ともいわれる「二徳」なる人物が所持したところから二徳三島と呼ばれています。『天王寺屋会記』の天正7年(1579)9月1日の千利休茶会に「こゆミ茶碗」と見えるのがこの茶碗とされ、利休の名物として伝わっています。
(図8)大井戸茶碗(上林井戸)は、かつて宇治の茶師上林家伝来とされていましたが、北三井家の文化文政(1804〜1830)頃の道具帳に「秀吉公御物 島原上林所持」との記事があり、調べたところ京都の島原遊郭に傾城屋の上林家がありました。今も残る島原遊郭の文化遺構「角屋」に窺えるように、このような名碗が島原遊郭に伝わることもあり得ることと思われます。
(図9)大井戸茶碗 銘須弥(別銘十文字)は、大徳寺の僧が享保12年(1727)に書いた「十文字井戸茶碗記」が添っており、それによれば、この茶碗はもと大きく歪んでいたのを、古田織部(1543〜1615)が十文字に割って小さくしたといい、後に天祐紹杲(1586〜1666)(大徳寺169世)が「須弥」の銘に改めたといいます。「へうげもの」で知られる古田織部の「破格の美」といわれる美意識を象徴する茶碗といえます。

珠光青磁茶碗 銘波瀾
南宋〜元時代・12〜14世紀 新町三井家旧蔵図6

名物 古三島茶碗(二徳三島)
朝鮮時代・16世紀 北三井家旧蔵図7

大井戸茶碗(上林井戸)
朝鮮時代・16世紀 北三井家旧蔵図8

大井戸茶碗 銘須弥(別銘十文字)
伝古田織部所持 朝鮮時代・16世紀 室町三井家旧蔵図9
展示室2国宝 志野茶碗 銘卯花墻
日本で焼かれた和物茶碗で国宝に指定された2碗の内の1碗(図10)です。もう1碗は本阿弥光悦作の白樂茶碗(銘不二山)(サンリツ服部美術館蔵)です。
(図10)卯花墻は、美濃の牟田洞窯で焼かれた志野茶碗で、轆轤で挽かれた半筒形を撫三角形に歪め、胴の随所に箆削りを施し、鉄絵で垣根文様を描いて志野釉を掛けています。まさに国宝も手造りから始まっています。
付属の小色紙には、「やまざとのうのはながきのなかつみち ゆきふみわけしここちこそすれ」と、この茶碗の景色から詠んだ和歌が記されており、「卯花墻」の銘が付けられています。箱書と和歌小色紙は片桐石州(1605〜1673)の筆とされています。
展示室3如庵 茶道具の取り合わせ
展示室3は、織田有楽(1547〜1621)の茶室「如庵」を写した展示室です。明治41年から北三井家が所有した国宝の茶室で、戦後に名古屋鉄道の所有となり犬山市に移築されました。
ここでは織田有楽にちなんだ茶道具の取り合わせです。床には有楽の消息(十月十六日春可老宛)、茶碗は伝有楽所持の(図11)大井戸茶碗(有楽茶碗)、茶杓は有楽作の竹茶杓です。
茶器は千利休「金砂」直書の黒中棗、釜は利休好の与次郎作雲龍釜を取り合わせます。
展示室4唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗
ここでは展示室1・2・3で展示した以外の唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗を、ほぼ時代順に展示いたします。
唐物茶碗は中国で焼かれた茶碗ですが、最初に展示室1で展示した珠光青磁茶碗(銘波瀾)(図6)とは別の珠光青磁茶碗を展示します。江戸後期に表千家家元が箱書したものが目立ち、その頃にこの茶碗が注目されたようです。
(図12)染付雲堂手鉢の子茶碗は、明時代に景徳鎮で焼かれたいわゆる古染付です。托鉢僧が持つ鉄鉢に似ているので鉢の子と呼ばれています。胴に雲堂模様が描かれていますが、この模様は赤絵や染付の茶碗によくあります。千利休所持とされる染付の筒形香炉を茶碗に見立てた「紀三井寺」と同じ模様です。
高麗茶碗は朝鮮半島で焼かれた茶碗です。展示室1で展示した名碗以外でもよく知られた名碗が並びます。
(図13)斗々屋茶碗(銘かすみ)は、胴の一部がうっすらと青く変化して見事な景色となっています。まさに春霞を見るようですが、荒々しい高台周辺の印象とのギャップも、この茶碗の魅力となっています。室町三井家十二代高大の遺愛品でした。
(図14)御所丸茶碗は、口辺に段が付いた沓形の茶碗です。黒釉の刷毛目や掛け分けの景色は、織部焼に通じる作意であり、日本向けに焼かれた茶碗と考えられます。制作時期は文禄・慶長の役のあと、朝鮮王朝との国交が回復する慶長14年(1609)以降間もない頃と考えられますが、織部好みとされる沓形茶碗の流行がその前提にあります。
(図15)彫三島茶碗(外花)は、古渡りの三島茶碗に倣って17世紀に日本からの注文で焼かれたものです。胴の内外に桧垣文をめぐらし、見込には花の印刻が捺され、薄く刷毛目が施されています。さらにこの茶碗は外側にも花の印刻が捺されており、特に「外花」と呼ばれて珍重されています。山県有朋(1838〜1922)の所蔵品でした。
(図16)玄悦茶碗(銘まきたつ山)は、江戸時代前期に朝鮮半島の釜山窯で焼かれた御本茶碗の一種です。釜山窯は、対馬藩によって倭館内に開かれた窯で、対馬藩主宗家が注文を仲介していました。対馬藩では船橋玄悦などの茶碗焼役人を出向させ、現地の陶工を雇って朝鮮の土で日本からの注文品を焼造しました。この茶碗は玄悦が扱った茶碗ということになります。

斗々屋茶碗 銘かすみ
朝鮮時代・16世紀 室町三井家旧蔵図13

御所丸茶碗
朝鮮時代・17世紀 北三井家旧蔵図14

彫三島茶碗(外花)
朝鮮時代・17世紀 室町三井家旧蔵図15

玄悦茶碗 銘まきたつ山
朝鮮時代・17世紀 北三井家旧蔵図16
和物茶碗は日本で焼かれた茶碗です。
(図17)瀬戸黒茶碗(銘うたゝ寝)は、口径に1㎝余りの歪みがあり、縁のある口造りに、胴から底にかけて深いくびれを見せる轆轤のあとが段をなしています。瀬戸黒茶碗としては作意の強い茶碗です。明治以降、『本朝陶器巧証』などで「織部黒」と呼ばれるようになる茶碗に該当するものと思われます。なお鉄絵が加わった沓形茶碗は「黒織部」と称されます。
(図18)高取面取茶碗は、九州の黒田藩で寛永年間(1624〜1644)に小堀遠州(1579〜1647)が関わり、白旗山窯で焼かれた茶陶を特に遠州高取と呼んでいます。この茶碗は腰に面を取る器形から高取面取茶碗(または高取面茶碗)と呼ばれ、遠州高取の代表作として知られています。単純な器形ながら雅で気品があり、まさに遠州の「綺麗さび」の茶碗です。
(図19)伊賀茶碗(銘西蓮寺)は、大振りの茶碗で、轆轤挽きの後に胴を楕円に歪め、高台は三方を箆で切り取った割高台としています。銘の西蓮寺は、伝来した寺院の名です。三重県上野市長田町にある天台真盛宗の寺で、北三井家三代高房が、伊賀に出かけた際にこの茶碗を見出し、所望して手に入れたもので、高房が銘を付けたものです。
(図20)色絵鱗文茶碗は、野々村仁清の作です。この茶碗は、釉を掛けて本焼した後に、釉上に黒の上絵具を焼き付けたもので、いわゆる仁清黒と呼ばれる濃厚な黒色を呈しています。さらに赤や金彩の上絵具によって鱗文を帯状に配しています。高台内に「仁清」の小印が捺されています。仁清は御室窯で金森宗和(1584〜1656)の指導を得て茶陶を焼いていますが、箱書には「濃茶茶碗 御室焼」と墨書されており、金森宗和筆との伝承があります。

瀬戸黒茶碗 銘うたゝ寝
桃山時代・16〜17世紀 北三井家旧蔵図17

高取面取茶碗
江戸時代・17世紀 室町三井家旧蔵図18

伊賀茶碗 銘西蓮寺
桃山〜江戸時代・16〜17世紀 北三井家旧蔵図19

色絵鱗文茶碗
野々村仁清作 江戸時代・17世紀 新町三井家旧蔵図20
展示室5樂の茶碗・永樂の茶碗(保全)
樂家の茶碗と永樂家の茶碗は、いずれも和物茶碗ですが、本展覧会では重要文化財の樂茶碗のみ和物茶碗のなかで紹介し、別に第4章「樂の茶碗」と第5章「永樂の茶碗」として三井家と関わりの深い茶碗を取り上げてご紹介いたします。
樂家は、千利休の美意識と創意による樂茶碗を長次郎が焼いて以来、代々千家流茶道のなかで陶家としての「ちゃわん屋」として続き、当代吉左衛門で十六代を数えます。ここではほぼ時代順・歴代順に12点を展示いたします。
(図21)赤樂茶碗(銘再来)は、樂家三代道入(1599〜1656)の作ですが、この茶碗は、三井越後屋創業者の元祖三井高利が所持したもので、出身地の松坂時代に一族が集まる椀飯振舞の席で濃茶を点てて飲んだといい、高利所持の茶道具として唯一伝わったものです。高利存命中に息子の室町三井家初代高伴が譲り受けて伝世しました。高利の妻かねが所持した台子皆具の記録もあり、当時から三井家では茶の湯が身近であったことが想像されます。
(図22)赤樂大福茶碗は、胴に「福寿」の文字と槌の絵があり、見込に亀の絵があります。胴の文字が北三井家二代高平(法名宗竺)筆で、槌の絵と見込の亀の絵(霊亀)がその息子の三代高房(法名宗清)の筆です。茶碗は樂家六代左入の作とされています。大福茶は、正月の祝儀として点てるお茶で、三井家でも大福茶を点てていますが、北三井家の文化文政頃の道具帳では、茶碗の筆頭に記されており、この大福茶碗がいかに特別な茶碗であったかがわかります。
(図23)この赤樂茶碗は、樂家九代了入(1756〜1834)の作で、高台脇に表千家九代了々斎の「前後軒へ」の文字と花押の朱書があります。前後軒は北三井家六代高祐が名乗った軒号で、高祐の日記には文化8年2月に千宗旦筆「前後軒」扁額についての記事があり、この頃千宗旦好の茶室「前後軒」を自邸に整備したようで、この茶碗はその記念に了々斎から贈られたものと思われます。
(図24)樂平茶碗は、樂家十一代慶入(1817〜1902)の作ですが、箱書から飛騨神岡鉱山の鹿間山の鉱石を釉薬としたことがわかります。明治以降、三井家は飛騨の神岡鉱山の経営に関わりましたが、北三井家九代高朗の指導で慶入が焼いたものです。
(図25)焼貫黒樂茶碗(銘擎雨)は、樂家十五代直入の作です。直入独特の斬新なデザインによる樂茶碗で、銘は「あめにささぐ」と読みます。銘は蘇軾の詩「贈劉景文」から取られています。

赤樂茶碗 銘再来
三井高利所持 樂道入作
江戸時代・17世紀 北三井家旧蔵図21

赤樂大福茶碗
胴槌絵・福寿文字 見込亀絵 樂左入作
江戸時代・18世紀 北三井家旧蔵図22

赤樂茶碗
了々斎「前後軒」直書 樂了入作
江戸時代・18〜19世紀 北三井家旧蔵図23

樂平茶碗
飛騨国鹿間鉱山鉱石釉 樂慶入作
明治時代・19世紀 北三井家旧蔵図24

焼貫黒樂茶碗 銘擎雨(あめにささぐ)
樂直入作 平成15年(2003) 個人旧蔵図25
永樂家は、室町時代に初代宗禅が奈良の西村に住んで春日神社の供御器を製していたといわれ、西村姓を称していました。晩年に武野紹鴎の好みの土風呂を作り、土風呂師善五郎を名乗り、二代宗善は堺に住み、三代宗全が京都に住んで以来、代々千家の土風呂師となりました。十代了全の時、土風呂のほかに瀬戸写や交趾写などの土物(陶器)を手掛けるようになり、ここに西村家(明治4年永樂姓に改姓)の陶家(焼物師)として新たな展開が始まりました。
三井家と永樂家との交流は、了全の代から見られ、十六代即全まで続きました。この間の当館で所蔵する作品は200件を優に超えており、食器などの数物を入れると相当な数に及んでいます。中でも十一代保全(1795〜1854)と十二代和全(1823〜1896)の作品が150件近くに達しています。本展では、この保全と和全の茶碗に限って、32件(35点)を展示いたしました。これらの中から特に三井家とかかわりの深い茶碗をご紹介いたしますが、展示室5では、保全の茶碗3件(4点)を展示しています。
(図26)金襴手四ツ目結桐紋天目・飲中八仙人図重茶碗は、弘化4年(1847)の暮れに北三井家七代高就の還暦年賀の祝いが行われ、その際に永樂家十一代の保全から高就へ贈られた重茶碗です。天目の胴には三井家の家紋である四ツ目結が大きく配されています。
展示室6永樂の祥瑞写(保全)
ここでは保全の祥瑞写の茶碗を展示いたします。三井家の家紋を散らした茶碗1点と、琵琶湖の大津で焼いた湖南焼の祥瑞写の茶碗6点をケース内至近距離でご覧いただけます。
(図27)祥瑞写家紋散茶碗は、三井家の注文品と思われますが、胴に三井家の家紋である四ツ目結紋、丸三紋、桐紋、木瓜紋を散らし、見込には幹が三つ巴に絡んだ松竹梅の絵が描かれています。染付が鮮やかに発色した精緻な作品です。
展示室7永樂の茶碗(保全・和全)
ここでは前半が永樂の茶碗の続きで、後半が手造茶碗を展示いたします。
永樂の茶碗は、保全の作品が3点、和全の作品が8件21点を展示いたします。
(図28)色絵兜菖蒲文平茶碗は、兜と菖蒲を描いた色絵の平茶碗で、和全の箱書に「仁清写 端午之絵 家父保全造」とあります。保全・和全の頃は金彩が控えめで余白が多いタイプが仁清のイメージであったようです。
(図29)赤地金襴手鳳凰文天目は、明治20年(1887)2月1日、京都御苑で行われた京都博覧会で、北三井家九代高朗と十代高棟が席主となって行われた明治天皇への献茶で使用されました。点前は表千家十一代碌々斎が行っています。この時、明治天皇から日の丸釜について御下問があり、それを記念して日の丸茶碗365個を和全が焼いており、博覧会の褒賞記念品とされました。
(図30)菊谷焼十二ヶ月絵替茶碗は、十二ヶ月各月の風物や行事を画題とした絵替り茶碗12個セットのうちの1月から3月の茶碗です。ざんぐりとした粗い胎土に薄く透明釉を掛けて乾山風の絵付けを施したもので、民藝風ともいえる素朴さと雅味があり、晩年の和全の境地がうかがえます。

色絵兜菖蒲文平茶碗 「永樂」在印
永樂保全作 江戸時代・19世紀 北三井家旧蔵図28

赤地金襴手鳳凰文天目
永樂和全作 明治時代・19世紀 北三井家旧蔵図29

菊谷焼十二ヶ月絵替茶碗
永樂和全作 12口の内3口
明治20年(1887) 北三井家旧蔵
①(1月)富士絵茶碗/②(2月)初午土鈴絵茶碗/③(3月)鶏合絵茶碗図30
展示室7手造茶碗
茶の湯の茶碗は、ほぼ全て手造りですが、ここでは専門の陶工による茶碗ではなく、いわば素人による手造り茶碗を「手造茶碗」として括り、13件(15点)を展示しました。素人といっても茶の湯を嗜む数寄者によるもので、ここでは三井家の当主達、表千家の家元、紀州徳川家の藩主や側室・側近に関わる茶碗を選んでいます。
(図31)青樂茶碗は、北三井家二代高平(法名宗竺)の手造り茶碗で、高台脇に「七十三翁 宗竺造」の彫銘があります。高平は、三井家元祖三井高利の長男で、高利が延宝元年(1673)に三井越後屋を日本橋に開店し、京都に仕入店を設けて以来、兄弟の中心に立って事業の発展に寄与しました。隠居後は茶の湯を嗜み、元文頃から名物茶道具の収集も始めています。茶碗や竹花入なども自作しており、この茶碗はその代表的なもので、三井家の手造り茶碗として伝世する最も古いものです。
(図32)赤樂亀絵茶碗は、文政2年(1819)に和歌山の西郊西浜御殿の偕楽園で行われた御庭焼において、十代藩主徳川治宝(1771〜1853)に命じられて北三井家六代高祐が手造りした茶碗で、亀の絵は徳川治宝が描いています。この御庭焼は樂吉左衛門(旦入)が樂窯を築き、治宝の側室や側近とともに行われたもので、この茶碗はそれを象徴するものといえます。
(図33)稲ノ絵茶碗は、北三井家十代高棟(法名宗恭)と妻の苞子との合作手造り茶碗です。高棟が大磯に営んだ別邸「城山荘」に永樂家を招いて築いた城山窯で焼いたもので、城山荘の土で造り、同じ土を釉薬としたものです。胴に高棟による稲の絵が描かれ、苞子が「黄金の波」と記しています。

青樂茶碗 彫銘「七十三翁宗竺造」
三井高平作
江戸時代・享保10年(1725) 北三井家旧蔵図31

赤樂亀絵茶碗(紀州御庭焼・偕楽園窯)
三井高祐作・徳川治宝画
江戸時代・文政2年(1819) 北三井家旧蔵図32

稲ノ絵茶碗 銘黄金の波(城山窯)
三井高棟・苞子合作
昭和19年(1944) 北三井家旧蔵図33