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当館で所蔵する茶碗の中から「国宝から手造茶碗まで」の副題のもとに、国宝・重要文化財を含む名品・優品、三井家ゆかりの茶碗など、100件を選んだ展覧会です。
江戸時代から昭和時代まで、300年以上にわたって収集され、当館まで伝わってきた三井家の茶碗を、三井家ならではの歴史とともに一堂に見渡せる又とない展覧会です。

展覧会の趣旨

当館で所蔵する茶碗の中から「国宝から手造茶碗まで」の副題のもとに、国宝・重要文化財を含む名品・優品、三井家ゆかりの茶碗など、100件を選んだ展覧会です。

三井家から寄贈された収蔵品の過半数は茶道具ですが、その中で茶碗だけを取り上げても200件を優に超えています。館蔵品による茶碗展は、約30年前(1995年)に三井文庫別館で開催した「三井家の名碗三十撰」以来になりますが、その時の図録も品切れとなって久しく、今回はそれを補う新しい図録を発行いたします。

展示は6章に分けて構成いたします。第1章「唐物茶碗」、第2章「高麗茶碗」、第3章「和物茶碗」では、国宝・重要文化財の名碗をはじめ、前回の三十撰の名碗を全て含む展示となります。さらに第4章「樂の茶碗」、第5章「永樂の茶碗(保全・和全)」、第6章「手造茶碗」として、三井家の茶の湯の歴史と関わりの深い茶碗を選んで展示いたします。

江戸時代から昭和時代まで、300年以上にわたって収集・蓄積されて当館まで伝わってきた三井家伝来の茶碗は、文化遺産ともいえますが、三井家ならではの歴史とともに一堂に見渡せるまたとない展覧会です。

展示構成と主な展示作品

展示構成は以下のように展示室ごとのテーマで展示いたします。

  • 展示室1:重要文化財と当館を代表する名碗
  • 展示室2:国宝 志野茶碗 銘卯花墻
  • 展示室3:如庵 茶道具取り合わせ
  • 展示室4:唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗
  • 展示室5:樂の茶碗・永樂の茶碗(保全)
  • 展示室6:永樂の祥瑞写(保全)
  • 展示室7:永樂の茶碗(保全・和全)・手造茶碗
展示室1重要文化財と当館を代表する名碗

当館には重要文化財に指定された名碗が5点あります。玳皮盞(たいひさん)鸞天目(らんてんもく))、粉引(こひき)茶碗(ちゃわん)三好(みよし)粉引(こひき))、黒樂(くろらく)茶碗(ちゃわん)(銘俊寛(しゅんかん))、赤樂(あからく)茶碗(ちゃわん)(銘(ぬえ))、黒樂(くろらく)茶碗(ちゃわん)(銘雨雲(あまぐも))の5点です。ここではこれらを唐物(からもの)茶碗・高麗(こうらい)茶碗・和物(わもの)茶碗の順に、古三島(こみしま)茶碗(ちゃわん)二徳三島(にとくみしま) )などの名物とされる名碗を交えて展示いたします。
(図1)玳皮盞(鸞天目)は、中国江西省の 吉州窯(きっしゅうよう)で南宋時代に焼かれた天目で、玳瑁(たいまい)甲羅(こうら)すなわち鼈甲(べっこう)のような釉景色(ゆうげしき)からの名称です。見込の尾の長い鳥を瑞鳥(ずいちょう)(らん)に見立てて鸞天目とも呼んでいます。小堀遠州(こぼりえんしゅう)(1579〜1647)由来の中興名物(ちゅうこうめいぶつ)です。

(図2)粉引茶碗(三好粉引)は、朝鮮半島で16世紀に焼かれた粉青沙器(ふんせいさき)の一種で、戦国武将の三好長慶(みよしながよし)(1522〜1564)が所持したところから三好粉引と呼ばれています。その後豊臣秀吉(1537〜1598)が所持し、江戸時代に金森家から三井家に伝わった名碗です。

(図3)黒樂茶碗(銘俊寛)は、千利休(1522〜1591)の美意識と創意により長次郎(ちょうじろう)が焼いた樂茶碗のなかでも作意が強く、腰の張った半筒茶碗の代表作です。

(図4)赤樂茶碗(銘鵺)は、樂家の三代道入(どうにゅう)(1599〜1656)の赤樂茶碗で、胴の黒い景色から『平家物語』の「鵺退治」に因んで「(ぬえ)」の銘が付けられています。

(図5)黒樂茶碗(銘雨雲)は、その道入の協力を得て本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)(1558〜1637)が造った樂茶碗です。専門の陶工ではない光悦が、自らの興味で手造りした茶碗ですが、その茶碗が今日重要文化財に指定されているところは、まさに「国宝も手のひらから」のキャッチコピーを体現しています。

(図6)珠光青磁茶碗(しゅこうせいじちゃわん)(銘波瀾(はらん))は、中国福建省や浙江省で南宋時代に大量に焼かれ、日本の遺跡からも出土していますが、唐物(からもの)の名物に対し、わび茶に相応しいものとして村田珠光(むらたしゅこう)が取り上げたとされるところから、この手の茶碗を珠光茶碗(しゅこうちゃわん)珠光青磁(しゅこうせいじ)などと呼んでいます。

(図7)古三島茶碗(二徳三島)は、重要文化財に指定されてはいませんが、豊臣秀吉の茶頭(さどう)とも袋師(ふくろし)ともいわれる「二徳(にとく)」なる人物が所持したところから二徳三島と呼ばれています。『天王寺屋会記(てんのうじやかいき)』の天正7年(1579)9月1日の千利休茶会に「こゆミ茶碗」と見えるのがこの茶碗とされ、利休の名物として伝わっています。

(図8)大井戸茶碗(おおいどちゃわん)上林井戸(かんばやしいど))は、かつて宇治の茶師上林家伝来とされていましたが、北三井家の文化文政(1804〜1830)頃の道具帳に「秀吉公御物 島原上林所持」との記事があり、調べたところ京都の島原遊郭に傾城屋(けいせいや)の上林家がありました。今も残る島原遊郭の文化遺構「角屋(すみや)」に窺えるように、このような名碗が島原遊郭に伝わることもあり得ることと思われます。

(図9)大井戸茶碗 銘須弥(しゅみ)(別銘十文字(じゅうもんじ))は、大徳寺の僧が享保12年(1727)に書いた「十文字井戸茶碗記」が添っており、それによれば、この茶碗はもと大きく歪んでいたのを、古田織部(ふるたおりべ)(1543〜1615)が十文字に割って小さくしたといい、後に天祐紹杲(てんゆうじょうこう)(1586〜1666)(大徳寺169世)が「須弥(しゅみ)」の銘に改めたといいます。「へうげもの」で知られる古田織部の「破格の美」といわれる美意識を象徴する茶碗といえます。

展示室2国宝 志野茶碗 銘卯花墻

日本で焼かれた和物茶碗で国宝に指定された2碗の内の1碗(図10)です。もう1碗は本阿弥光悦作の白樂茶碗(銘不二山)(サンリツ服部美術館蔵)です。

(図10)卯花墻(うのはながき)は、美濃の牟田洞窯(むたぼらがま)で焼かれた志野茶碗で、轆轤(ろくろ)で挽かれた半筒形を撫三角形に歪め、胴の随所に(へら)削りを施し、鉄絵(てつえ)で垣根文様を描いて志野釉(しのゆう)を掛けています。まさに国宝も手造りから始まっています。

付属の小色紙には、「やまざとのうのはながきのなかつみち ゆきふみわけしここちこそすれ」と、この茶碗の景色から詠んだ和歌が記されており、「卯花墻」の銘が付けられています。箱書と和歌小色紙は片桐石州(かたぎりせきしゅう)(1605〜1673)の筆とされています。

展示室3如庵 茶道具の取り合わせ

展示室3は、織田有楽(おだうらく)(1547〜1621)の茶室「如庵(じょあん)」を写した展示室です。明治41年から北三井家が所有した国宝の茶室で、戦後に名古屋鉄道の所有となり犬山市に移築されました。

ここでは織田有楽にちなんだ茶道具の取り合わせです。床には有楽の消息(十月十六日春可老宛)、茶碗は伝有楽所持の(図11)大井戸茶碗(有楽茶碗)、茶杓は有楽作の竹茶杓です。

茶器は千利休「金砂」直書の黒中棗、釜は利休好の与次郎作雲龍釜を取り合わせます。

展示室4唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗

ここでは展示室1・2・3で展示した以外の唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗を、ほぼ時代順に展示いたします。

唐物茶碗は中国で焼かれた茶碗ですが、最初に展示室1で展示した珠光青磁茶碗(銘波瀾)(図6)とは別の珠光青磁茶碗を展示します。江戸後期に表千家家元が箱書したものが目立ち、その頃にこの茶碗が注目されたようです。

(図12)染付雲堂手鉢(そめつけうんどうではち)子茶碗(こちゃわん)は、明時代に景徳鎮(けいとくちん)で焼かれたいわゆる古染付(こそめつけ)です。托鉢僧(たくはつそう)が持つ鉄鉢(てっぱつ)に似ているので鉢の子と呼ばれています。胴に雲堂(うんどう)模様が描かれていますが、この模様は赤絵や染付の茶碗によくあります。千利休所持とされる染付の筒形香炉を茶碗に見立てた「紀三井寺(きみいでら)」と同じ模様です。

高麗茶碗は朝鮮半島で焼かれた茶碗です。展示室1で展示した名碗以外でもよく知られた名碗が並びます。

(図13)斗々屋茶碗(ととやちゃわん)(銘かすみ)は、胴の一部がうっすらと青く変化して見事な景色となっています。まさに春霞を見るようですが、荒々しい高台周辺の印象とのギャップも、この茶碗の魅力となっています。室町三井家十二代高大(たかひろ)の遺愛品でした。

(図14)御所丸茶碗(ごしょまるちゃわん)は、口辺に段が付いた沓形(くつがた)の茶碗です。黒釉の刷毛目(はけめ)や掛け分けの景色は、織部焼に通じる作意であり、日本向けに焼かれた茶碗と考えられます。制作時期は文禄・慶長の役のあと、朝鮮王朝との国交が回復する慶長14年(1609)以降間もない頃と考えられますが、織部好みとされる沓形茶碗の流行がその前提にあります。

(図15)彫三島茶碗(ほりみしまちゃわん)外花(そとばな))は、古渡りの三島茶碗に倣って17世紀に日本からの注文で焼かれたものです。胴の内外に桧垣文(ひがきもん)をめぐらし、見込には花の印刻が捺され、薄く刷毛目が施されています。さらにこの茶碗は外側にも花の印刻が捺されており、特に「外花(そとばな)」と呼ばれて珍重されています。山県有朋(やまがたありとも)(1838〜1922)の所蔵品でした。

(図16)玄悦茶碗(げんえつちゃわん)(銘まきたつ山)は、江戸時代前期に朝鮮半島の釜山窯(ふざんよう)で焼かれた御本茶碗(ごほんちゃわん)の一種です。釜山窯は、対馬藩によって倭館(わかん)内に開かれた窯で、対馬藩主宗家が注文を仲介していました。対馬藩では船橋玄悦(ふなはしげんえつ)などの茶碗焼役人を出向させ、現地の陶工を雇って朝鮮の土で日本からの注文品を焼造しました。この茶碗は玄悦が扱った茶碗ということになります。

和物茶碗は日本で焼かれた茶碗です。

(図17)瀬戸黒茶碗(せとぐろちゃわん)(銘うたゝ())は、口径に1㎝余りの歪みがあり、(ふち)のある口造りに、胴から底にかけて深いくびれを見せる轆轤(ろくろ)のあとが段をなしています。瀬戸黒茶碗としては作意の強い茶碗です。明治以降、『本朝陶器巧証(ほんちょうとうきこうしょう)』などで「織部黒(おりべぐろ)」と呼ばれるようになる茶碗に該当するものと思われます。なお鉄絵が加わった沓形(くつがた)茶碗は「黒織部(くろおりべ)」と称されます。

(図18)高取面取茶碗(たかとりめんとりちゃわん)は、九州の黒田藩で寛永年間(1624〜1644)に小堀遠州(1579〜1647)が関わり、白旗山(しらはたやま)窯で焼かれた茶陶を特に遠州高取(えんしゅうたかとり)と呼んでいます。この茶碗は腰に面を取る器形から高取面取茶碗(または高取面茶碗)と呼ばれ、遠州高取の代表作として知られています。単純な器形ながら雅で気品があり、まさに遠州の「綺麗さび」の茶碗です。

(図19)伊賀茶碗(いがちゃわん)(銘西蓮寺(さいれんじ))は、大振りの茶碗で、轆轤挽きの後に胴を楕円に歪め、高台は三方を箆で切り取った割高台(わりこうだい)としています。銘の西蓮寺は、伝来した寺院の名です。三重県上野市長田町にある天台真盛宗の寺で、北三井家三代高房(たかふさ)が、伊賀に出かけた際にこの茶碗を見出し、所望して手に入れたもので、高房が銘を付けたものです。

(図20)色絵鱗文茶碗(いろえうろこもんちゃわん)は、野々村仁清(ののむらにんせい)の作です。この茶碗は、釉を掛けて本焼(ほんやき)した後に、釉上に黒の上絵具(うわえのぐ)を焼き付けたもので、いわゆる仁清黒(にんせいぐろ)と呼ばれる濃厚な黒色を呈しています。さらに赤や金彩の上絵具によって鱗文を帯状に配しています。高台内に「仁清」の小印が捺されています。仁清は御室窯(おむろがま)金森宗和(かなもりそうわ)(1584〜1656)の指導を得て茶陶を焼いていますが、箱書には「濃茶茶碗 御室焼」と墨書されており、金森宗和筆との伝承があります。

展示室5樂の茶碗・永樂の茶碗(保全)

樂家の茶碗と永樂家の茶碗は、いずれも和物茶碗ですが、本展覧会では重要文化財の樂茶碗のみ和物茶碗のなかで紹介し、別に第4章「樂の茶碗」と第5章「永樂の茶碗」として三井家と関わりの深い茶碗を取り上げてご紹介いたします。

樂家は、千利休の美意識と創意による樂茶碗を長次郎が焼いて以来、代々千家流茶道のなかで陶家としての「ちゃわん屋」として続き、当代吉左衛門で十六代を数えます。ここではほぼ時代順・歴代順に12点を展示いたします。

(図21)赤樂茶碗(あからくちゃわん)(銘再来(さいらい))は、樂家三代道入(どうにゅう)(1599〜1656)の作ですが、この茶碗は、三井越後屋創業者の元祖三井高利(たかとし)が所持したもので、出身地の松坂時代に一族が集まる椀飯振舞(おうばんぶるまい)の席で濃茶を点てて飲んだといい、高利所持の茶道具として唯一伝わったものです。高利存命中に息子の室町三井家初代高伴(たかとも)が譲り受けて伝世しました。高利の妻かねが所持した台子皆具(だいすかいぐ)の記録もあり、当時から三井家では茶の湯が身近であったことが想像されます。

(図22)赤樂大福茶碗(あからくおおぶくちゃわん)は、胴に「福寿」の文字と(つち)の絵があり、見込に亀の絵があります。胴の文字が北三井家二代高平(たかひら)(法名宗竺(そうちく))筆で、槌の絵と見込の亀の絵(霊亀)がその息子の三代高房(たかふさ)(法名宗清(そうせい))の筆です。茶碗は樂家六代左入(さにゅう)の作とされています。大福茶(おおぶくちゃ)は、正月の祝儀として点てるお茶で、三井家でも大福茶を点てていますが、北三井家の文化文政頃の道具帳では、茶碗の筆頭に記されており、この大福茶碗がいかに特別な茶碗であったかがわかります。

(図23)この赤樂茶碗(あからくちゃわん)は、樂家九代了入(りょうにゅう)(1756〜1834)の作で、高台脇に表千家九代了々斎の「前後軒へ」の文字と花押の朱書があります。前後軒(ぜんごけん)は北三井家六代高祐(たかすけ)が名乗った軒号で、高祐の日記には文化8年2月に千宗旦筆「前後軒」扁額についての記事があり、この頃千宗旦好の茶室「前後軒」を自邸に整備したようで、この茶碗はその記念に了々斎から贈られたものと思われます。

(図24)樂平茶碗(らくひらちゃわん)は、樂家十一代慶入(けいにゅう)(1817〜1902)の作ですが、箱書から飛騨神岡鉱山の鹿間山(しかまやま)の鉱石を釉薬としたことがわかります。明治以降、三井家は飛騨の神岡鉱山の経営に関わりましたが、北三井家九代高朗(たかあき)の指導で慶入が焼いたものです。

(図25)焼貫黒樂茶碗(やきぬきくろらくちゃわん)(銘擎雨(けいう))は、樂家十五代直入(じきにゅう)の作です。直入独特の斬新なデザインによる樂茶碗で、銘は「あめにささぐ」と読みます。銘は蘇軾(そしょく)の詩「贈劉景文」から取られています。

永樂家は、室町時代に初代宗禅が奈良の西村に住んで春日神社の供御器(くごき)を製していたといわれ、西村姓を称していました。晩年に武野紹鴎(じょうおう)の好みの土風呂(どぶろ)を作り、土風呂師善五郎を名乗り、二代宗善は堺に住み、三代宗全が京都に住んで以来、代々千家の土風呂師となりました。十代了全の時、土風呂のほかに瀬戸写や交趾(こうち)写などの土物(陶器)を手掛けるようになり、ここに西村家(明治4年永樂姓に改姓)の陶家(焼物師)として新たな展開が始まりました。

三井家と永樂家との交流は、了全の代から見られ、十六代即全まで続きました。この間の当館で所蔵する作品は200件を優に超えており、食器などの数物を入れると相当な数に及んでいます。中でも十一代保全(1795〜1854)と十二代和全(1823〜1896)の作品が150件近くに達しています。本展では、この保全と和全の茶碗に限って、32件(35点)を展示いたしました。これらの中から特に三井家とかかわりの深い茶碗をご紹介いたしますが、展示室5では、保全の茶碗3件(4点)を展示しています。

(図26)金襴手四ツ目結桐紋天目(きんらんでよつめゆいきりもんてんもく)飲中八仙人図重茶碗(いんちゅうはっせんにんずかさねちゃわん)は、弘化4年(1847)の暮れに北三井家七代高就(たかなり)の還暦年賀の祝いが行われ、その際に永樂家十一代の保全から高就へ贈られた重茶碗です。天目の胴には三井家の家紋である四ツ目結が大きく配されています。

展示室6永樂の祥瑞写(保全)

ここでは保全の祥瑞写(しょんずいうつし)の茶碗を展示いたします。三井家の家紋を散らした茶碗1点と、琵琶湖の大津で焼いた湖南焼(こなんやき)の祥瑞写の茶碗6点をケース内至近距離でご覧いただけます。

(図27)祥瑞写家紋散茶碗(しょんずいうつしかもんちらしちゃわん)は、三井家の注文品と思われますが、胴に三井家の家紋である四ツ目結紋、丸三紋、桐紋、木瓜(もっこう)紋を散らし、見込には幹が三つ巴に絡んだ松竹梅の絵が描かれています。染付が鮮やかに発色した精緻な作品です。

展示室7永樂の茶碗(保全・和全)

ここでは前半が永樂の茶碗の続きで、後半が手造茶碗を展示いたします。

永樂の茶碗は、保全の作品が3点、和全の作品が8件21点を展示いたします。

(図28)色絵兜菖蒲文平茶碗(いろえかぶとしょうぶもんひらちゃわん)は、兜と菖蒲を描いた色絵の平茶碗で、和全の箱書に「仁清写 端午之絵 家父保全造」とあります。保全・和全の頃は金彩が控えめで余白が多いタイプが仁清のイメージであったようです。

(図29)赤地金襴手鳳凰文天目(あかじきんらんでほうおうもんてんもく)は、明治20年(1887)2月1日、京都御苑で行われた京都博覧会で、北三井家九代高朗(たかあき)と十代高棟(たかみね)が席主となって行われた明治天皇への献茶で使用されました。点前は表千家十一代碌々斎(ろくろくさい)が行っています。この時、明治天皇から日の丸釜について御下問(ごかもん)があり、それを記念して日の丸茶碗365個を和全が焼いており、博覧会の褒賞記念品とされました。

(図30)菊谷焼十二ヶ月絵替茶碗(きくたにやきじゅうにかげつえがわりちゃわん)は、十二ヶ月各月の風物や行事を画題とした絵替り茶碗12個セットのうちの1月から3月の茶碗です。ざんぐりとした粗い胎土に薄く透明釉を掛けて乾山風の絵付けを施したもので、民藝風ともいえる素朴さと雅味があり、晩年の和全の境地がうかがえます。

展示室7手造茶碗

茶の湯の茶碗は、ほぼ全て手造りですが、ここでは専門の陶工による茶碗ではなく、いわば素人による手造り茶碗を「手造茶碗」として括り、13件(15点)を展示しました。素人といっても茶の湯を嗜む数寄者によるもので、ここでは三井家の当主達、表千家の家元、紀州徳川家の藩主や側室・側近に関わる茶碗を選んでいます。

(図31)青樂茶碗(あおらくちゃわん)は、北三井家二代高平(たかひら)(法名宗竺(そうちく))の手造り茶碗で、高台脇に「七十三翁 宗竺造」の彫銘があります。高平は、三井家元祖三井高利(たかとし)の長男で、高利が延宝元年(1673)に三井越後屋を日本橋に開店し、京都に仕入店を設けて以来、兄弟の中心に立って事業の発展に寄与しました。隠居後は茶の湯を嗜み、元文頃から名物茶道具の収集も始めています。茶碗や竹花入なども自作しており、この茶碗はその代表的なもので、三井家の手造り茶碗として伝世する最も古いものです。

(図32)赤樂亀絵茶碗(あからくかめのえちゃわん)は、文政2年(1819)に和歌山の西郊西浜御殿の偕楽園で行われた御庭焼において、十代藩主徳川治宝(とくがわはるとみ)(1771〜1853)に命じられて北三井家六代高祐(たかすけ)が手造りした茶碗で、亀の絵は徳川治宝が描いています。この御庭焼は樂吉左衛門(旦入)が樂窯を築き、治宝の側室や側近とともに行われたもので、この茶碗はそれを象徴するものといえます。

(図33)稲ノ絵茶碗(いねのえちゃわん)は、北三井家十代高棟(たかみね)(法名宗恭)と妻の苞子(もとこ)との合作手造り茶碗です。高棟が大磯に営んだ別邸「城山荘」に永樂家を招いて築いた城山窯(じょうざんがま)で焼いたもので、城山荘の土で造り、同じ土を釉薬としたものです。胴に高棟による稲の絵が描かれ、苞子が「黄金の波」と記しています。

会期
2026年9月12日(土)〜11月23日(月・祝)
開館時間
10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日
月曜日(但し9月21日、10月12日、11月2日・23日は開館)、10月13日(火)
主催
三井記念美術館
入館料
一般 1,200(1,000)円
大学・高校生 700(600)円
中学生以下 無料
  • ※70歳以上の方は1,000円(要証明)。
  • ※20名様以上の団体の方は( )内割引料金となります。
  • ※リピーター割引:会期中、半券のご提示で、2回目以降は( )内割引料金となります。
  • ※障害者手帳をご呈示いただいた方、およびその介護者1名は無料です(ミライロIDも可)。
音声ガイド
音声ガイドでわかりやすく解説いたします。(日本語のみ、貸出料800円)
入館
予約なしでご入館いただけます。
展示室内の混雑を避けるため入場制限を行う場合があります。

ご来館のお客様へのお願い

お問い合わせ先
050-5541-8600(ハローダイヤル)
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