三井の文化と歴史 後期展特設ページ
現在、三井グループとして知られる諸会社の多くは、その起源を戦前の三井財閥に持ちます。その三井財閥のルーツは、江戸時代の豪商三井、そしてその創業者・三井高利(たかとし)にさかのぼります。「日本屈指の経営史料が語る 三井の350年」展は、江戸初期を生きた三井高利に始まり、第二次世界大戦後の財閥解体、そして三井グループとしての再結集までの歴史を、三井文庫が所蔵する10万点の史料から選りすぐった史料現物の展示によって、理解していただこうという企画です。このページでは、本展覧会の見所を簡単にご紹介いたします。三井の歴史への格好の入門となる本展にぜひ足をお運びいただき、その全貌をご覧ください。また、三井の歴史についての格好の入門書『史料が語る三井のあゆみ―越後屋から三井財閥―』(三井文庫編刊、吉川弘文館発売)を展覧会に合わせて刊行いたしました。合わせてご利用ください。

三井高利夫妻像
三井の創業者は、江戸時代の豪商として知られる三井高利(たかとし)です。高利は1622年に伊勢松坂に生まれ、14歳で江戸に出て商売の修行をはじめました。28歳で松坂に戻って雌伏の時を過ごし、52歳にして江戸に自らの店を開き、「現金掛け値なし」などの新商法によって大成功を収めました。
高利の没後、息子らが事業を引き継ぎ、さらに発展を続けます。発展した事業を第三世代以降に継承させるために、世に言う三井の家訓「宗竺遺書」(そうちくいしょ)(1722年)を定めます。これは、三井総領家二代・高平(宗竺)の遺書という形で作成された家法です。特に三井家の一致結束と事業資産の分割不可を規定した「身上一致」(しんじょういっち)の原則がよく知られています。

鳥居清長「駿河町越後屋正月風景図」
江戸時代の三井は、呉服(絹織物)や木綿類を扱う呉服部門(三井越後屋)と金融部門(三井両替店)の二部門をもち、それぞれの部門が三都(京都・江戸・大坂)に店舗を展開していました。越後屋では、1683年に移転開業した日本橋駿河町の店が有名です。江戸を代表する景観としても知られ、錦絵にも度々描かれました。三井両替店は、御為替御用(おかわせごよう)など幕府公金の取り扱いを引き受け、江戸時代の経済の根幹を支える役割を果たしました。そして、三井では大元方という機関を設けて、三都に広がる複数部門の事業と、三井一族を一元的に指揮監督していました。

幕末維新期、三井のリーダー
徳川幕府と密接な関係を持っていた三井にとって、幕末維新の政局は大きな試練でしたが、緻密な情報収集や的確な情勢判断などによって、その激動を乗り切ります。その局面で中心的な働きをした人物の一人が、当時の三井としては異例の外部招聘により登用された三野村利左衛門です。三井は新政府が発足すると、その財政運営に深くかかわり、新時代に対応していきます。

三井合名会社社長・三井高棟
幕末維新の動乱をのりこえた三井は、三井銀行・三井物産・三井鉱山という新たな事業基盤を形成します。明治30〜40年代にかけて、「三井家憲」(みついかけん)を制定するとともに、持株会社である三井合名会社が傘下の事業会社を所有し統轄する体制を整えます。第一次大戦後には、重化学工業部門にも進出し、多くの傘下会社を擁する日本最大の財閥へと発展します。現在、三井グループとして知られる多くの企業が、この時期に創立されています。こうした財閥としての発展の過程で活躍した、益田孝や団琢磨をはじめとする専門経営者達の名前は余りにも有名です。三井は昭和恐慌から戦時統制へと続く激動の時代にも、さらに規模を拡大していきますが、敗戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の財閥解体政策によって、財閥としての歴史に終止符をうたれました。

1970年 大阪万博三井グループ館(三井グループの共同事業の一例)
第二次世界大戦後、日本企業は、空襲による工場設備の破壊、船舶の喪失、外地資産の消滅、旧幹部の経済界からの追放など、厳しい状況のなかで再出発を図ります。三井系企業の場合には、親会社であった財閥本社の解散という試練も加わりましたが、日本経済が復興を果たしていくなか、三井系各社も、見事にその力を回復して行きます。1961年に、三井各社の社長会「二木会」(にもくかい)が結成され、戦前期・三井財閥の時代とは異なる三井グループとして協力関係を形成してゆきます。

三井文庫書庫内
三井文庫の起源は、1903年に設立された三井家編纂室に遡ります。同室は三井の歴史編纂のため史料収集と研究に取り組み、1918年に名称を三井文庫と改めますが、敗戦による財閥解体の影響を受けて活動休止を余儀なくされました。その後、戦後復興の進展により、三井文庫再建の機運が高まり、1965年に三井家同族会と三井グループ各社の支援により財団法人として創立されたのが現在の三井文庫です。2010年には、法制度変更を受けて、公益財団法人三井文庫となっています。現在、公益財団法人三井文庫は、史料館(通称「三井文庫」)と三井記念美術館を運営しています。
「三井文庫」は、17世紀以降の三井関係史料約10万点を所蔵し、史料の調査・収集・保存・公開・研究を行っています。戦前期には非公開であった所蔵史料は、財団として再出発後、広く一般に公開され、経済史・経営史研究の飛躍的前進に寄与してきました。研究員の研究成果も、『三井事業史』や『三井文庫論叢』として公表されております。また、その存在は多くの企業史料館が開設される契機ともなってまいりました。
三井記念美術館は、1985年に三井文庫別館として出発し、2005年に日本橋に移転・開館いたしました。歴代三井家が収集した品々を中核とする収蔵品は、茶道具を中心に、絵画、書跡、刀剣、能面、能装束、調度品など多岐にわたり、国宝・重要文化財・重要美術品を含む、美術工芸品約4000点、切手類約13万点を数えます。開館以来10年の間に、三井ならではの展覧会を次々と開催し、多くの皆様にご来館をいただいております。



























