| 鍛造の銅板の表に古代渡来系官人の船王後の出自と経歴が、裏には没年と埋葬の経緯が計162文字で刻まれたもので、わが国の墓誌として現存最古の年紀をもつ。王後は推古・舒明両朝に仕え、冠位十二階第三等の大仁位に叙せられた。辛丑年(641)に没したが戊辰年(668)に夫人とともに河内国松岳山に改葬されたという。 |
建仁元年(1201)10月、後鳥羽上皇(1180〜1239)の熊野への御幸に随行した藤原定家が記した23日間の記録である。ときに上皇は21歳の若さで4度目の御幸、一方の定家は40歳で初めての参詣であった。上皇の熊野御幸を詳細に伝える唯一の記録として単独に扱われるが、同時に定家の日記『明月記』の一部ともいえる。 |